今回、応えるのは亡くなった友人
2011年に亡くなった。
が向こうではまだ一二週間ぐらいしか経っていないという。
現在の友達の暮らす故郷(霊界)は明治時代。
雨は降るのか、との問いに
雨はまだ故郷に帰って降ったと云うことはないし、雨が降るなどとは訊いたこともない、という。
服装は女はモンペ、男は野良着。
着物はきないのか?
との問いに着物を着ている人はまだ見たことはないという。
飯は、どうしている、との問いに
人間界から上がってくるのでしょうねー朝とか昼になったら”おーい飯じゃー”と云って呼ばれる、と飯とオカズが並べられている、と。
飯を誰かが作るということはない。
メシはごはんと野菜の粗末なものだと云う。
喧嘩は、と訊くと
喧嘩は全くない、喧嘩になるような要素がないという。
周りは身内ばかりだし、他所に逝っても喧嘩などは全くないという。
三途の川には百姓がいるが、そこにも百姓はいるのか?との問いに
百姓の格好はしているが百姓はいないという。
が三途の川に百姓がおるのは知っている、と。
曜日はあるのか?と訊くと曜日とかはないとのこと。
気候はどうか、今の人間界は20~25°だと云うと
秋の頃の気候でみんな厚着をしている、夏はないのでは、と。
人間界に降りる順番は?
人間界に降りる順番はある程度決まっているが故郷からは最近あまり降りていないと云う。
また順番と云うより話し合いで決める”今度は誰が降りるか”と、だけどみんな降りたがらないという。
希望があれば希望者が優先される、が人間界は煩わしいから降りない、と。
人間界はヒトを殺したヤツばっかしだから、とも。
また、人間界は悲惨だからここのヒトたちもみんな降りたがらない。
が誰かが降りなければならないときには順番でしょうがなく降りる、と云う。
やはり人間界に降りるのはみんな嫌がっているのだ。
まぁ確かにこんな殺伐としたところに進んでおりたいものなどいる筈がない。
それに、現在人間界に降りている方々の殆どは故郷に帰ることなく輪廻転生を繰り返しているのだから。
故に、人間界は修行の場(仏教用語)などではなく、苦しみや悩みの多き場となるのだ。
だからと云って、その悩みや苦しみに耐えたからと言って故郷に帰れるか、と言ってもそれはかなわない。
今回、話を訊いた友達も果てしない闇の中を彷徨っていたのだ。
霊界のことを訊くのは今回で2回目だが、やはり霊界の故郷は昔の人間界だった。
これが霊界、あの世なんだよ。
仏教では死後の世界をいろいろと難しく解釈されているが実際はこんなに素朴なところなのだ。
だからそんなに悪いところでも怖いところでもないのだ。
まぁこれは故郷に帰れたら、と云う話なのだが。
しかし、どちらにしても故郷はホントに身近なところなのだ。
寝て覚めたら、そこが霊界だった、と云うぐらいに。
と言って自殺すると大変なところに逝かされるから自殺だけは絶対してはダメだ、よ。