巷の霊能者と云われる方々の除霊とは、人間界を彷徨う霊の事を指すようである。
しかし、霊能者にとっては
『人間界を彷徨う霊』
などとは思ってもいない。 (霊は、霊界〈魂の故郷〉に棲む霊と三途の川を境に人間界を彷徨う霊と区別されている。)
人間界を彷徨う霊とは、所謂、肉体を亡くした顕在意識のことである。
または、残留思念、或いは生霊とも云う。
この顕在意識は人間が生存している間は、肉体と重複するようにして重なっている。
が肉体が死滅すると、顕在意識だけが人間界を浮遊することになる。
たとえば、死亡事故等が起きた現場や殺人事件が起きた場所に献花している風景を目にしたことがあるのでは、と思う。
なぜ、死亡した場所にお花などをお供えするのか?
と云えば、念が残っていると思われているためではないのだろうか。
この、念こそが顕在意識なのだ。
ときに顕在意識は、肉体を離れ(幽体離脱)自分の寝姿を上からみたり、臨死体験等で三途の川を見たりすることもある。
或るいは、イヤな人のところや好きな人のところにも生霊となって逝く。
では、なぜ幽体離脱や三途の川を見たりするのが顕在意識だと云えるのか?
それは、意識が覚醒した時に、自分の横たわる姿を見た事や三途の川を視た事などが記憶として残っているからである。
記憶に残ると云うことが、顕在意識である証拠なのだ。(潜在意識では記憶に残らない)
たとえば、魂が三途の川を例え視たところで人間の記憶に残ることは一切ない。
その証拠に、魂の存在を感じた、と云う人はまず、いない筈だからだ。
人間界には、人間の死後、肉体から離れた多くの顕在意識が彷徨っている。
その彷徨っている顕在意識が、特殊能力がある方々には幽霊として視界に映るのだ。
その映り方としては十人十色である。
たとえば、霊が憑いていると云われる人の後ろか、或いは横にボーッと陽炎のようにして表れていることもある。
しかし、残留思念とも云われているように霊界に棲む霊と比べると、肉体に憑依する霊は殆ど霊害、霊障はない。
故に、簡単なお経程度で離れることもあるのだ。
それ程、たかが知れた霊と云うことにもなる。
その憑依した顕在意識を霊能者と云われる方々は悪霊などと言って除霊をしているようだ。
故に、この程度の霊を除けても憑かれている人間にとっては殆ど何も変わらない筈である。
一番、人間に害を為す霊と云えば、魂に憑依する霊界の霊なのだ。
所謂、前世の因縁、怨霊と云われる怨念なのだ。
この、恨みの念、所謂、怨念を除けないことには何も解決しないし、除霊したことにはならない。
しかし、この怨霊は霊能者程度の能力では見つけることはできない。
たとえ、見つけたとしても呼び出すことなどはできない。
故に、呼び出さない事には除霊はできない、と言う事になる。
それ程、強い霊とも云える。
故に、人間界を彷徨う霊を除けたからと云って除霊をした、と云うことにはならない。
真の除霊とは、霊界に棲む魂に憑依した霊を除けて初めて『除霊をした』と云うことになるのだ。
・・・・最後になったが、三途の川とは人間界と霊界の境目なのだ。